九条を守る神奈川高校教職員の会

第五福竜丸の航跡 講談に 墨田の田辺一乃さん 横浜で「ネタ卸し」

2014年4月3日 東京新聞夕刊


「第五福竜丸」の講談を作った田辺一乃さん=東京都墨田区で

 「小さなボロ船の私(わたくし)は、とんだことで、日本一有名な船になりました」。一九五四年三月、太平洋・マーシャル諸島で行われた水爆実験で被ばくした第五福竜丸を題材にした講談を、講談師の田辺一乃(かずの)さん=東京都墨田区=が作った。遠洋マグロ漁で被災した後、廃船として捨てられ、今は都立第五福竜丸展示館(江東区)で保存されている数奇な航跡を、分かりやすく伝えている。被ばくから六十年余の五日、横浜市内の講演会で「ネタ卸し」する。 (橋本誠)
 「私、船でございます。元は漁船でした」
 講談は、夢の島公園の展示館にある第五福竜丸の「回想」から始まる。実験に巻き込まれたいきさつや、被災時の状況を歯切れ良く語っていく。
 「突然、まだ暗い空が、左の水平線から右の水平線まで、サアーッと夕焼け色に染まった」
 「ぱらぱら、ぱらぱら。空から白いものが降ってきたんです」
 「(焼津港に戻った後)大学の先生たちがやってきて、私の船体にガイガーカウンターという計測機械を向けました」
 「死の灰」を浴び、急性放射能症に苦しむ乗組員の様子も説明。東京水産大(現・東京海洋大)の練習船になった第五福竜丸が、ごみの埋め立て地だった夢の島に捨てられ、市民の呼び掛けで永久保存に至るまでを三十分に凝縮して語る。
 田辺さんは東京生まれ。人事院に二十年以上勤めた後、講談師の田辺一鶴さん(故人)に弟子入りし、転職した。「勝海舟」「二宮金次郎」など歴史的人物を題材にしたネタを得意とする一方、奥尻島の津波などを盛り込んだ防災講談にも取り組んできた。
 昨年九月、地元ネタを作ろうと、第五福竜丸展示館を訪問。他にも多くの漁船が被害を受けていたことをあらためて知った。「大切なことは伝えた方がいい」と関連書を調べ、学芸員にも話を聞いて台本を仕上げた。
 気を付けたのは、「そのお話はいずれまた…」と観客が自分で判断する部分を残すこと。人事院時代の九五年、地下鉄サリン事件が起きた霞が関で「爆弾」という誤った情報が飛び交い、周囲の人が不安を募らせたのを覚えているからだ。歩道に倒れた人たちに衝撃を受けつつ「当たり前と思っていたことが当たり前じゃないときは、自分で考えるしかない」と感じたという。
 「講談を聞いて、マグロや乗組員はどうなったか考えてほしい。中学生にも分かるように作ったので、自分で調べて展示館に行ってくれたらうれしいですね」
 講演会は五日午後五時四十五分から、横浜市神奈川区のかながわ県民センター四〇二号室で。問い合わせは早川芳夫さん=電**(****)****=へ。資料代五百円(高校生以下無料)。

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