九条を守る神奈川高校教職員の会

福竜丸題材に講談

2014年4月13日 読売新聞・静岡


福竜丸の講談を披露する田辺さん(4月5日、横浜市のかながわ県民センターで)

 焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝ひばくして60年の節目となる中、東京都墨田区の講談師、田辺一乃かずのさんが、福竜丸を題材に講談を完成させた。「事件を知り、考えるきっかけになれば」と台本を工夫し、横浜市で5日、初披露した。数奇な運命をたどった船の気持ちになりきり、優しく訴える口調に、約70人の聴衆は引き込まれた。(村上藍)
 「私、船。第五福竜丸と申します。23名の乗組員を乗せ、意気揚々と太平洋の大海原へと乗り出したのでございます」。田辺さんは「ネタ卸し」と呼ばれる初披露で、東京都江東区の展示館に保存されている福竜丸を演じ、語り始めた。
 「5回目の航海でした。真っ黒だった空がサーっと夕焼け色に染まったんです。パラパラパラ。空から白いものが降って……」
 中部太平洋にあるマーシャル諸島のビキニ環礁で、1954年3月1日朝、米国が行った水爆実験による歴史的な大事件。しかし、大海原で何が起きたのかを回想する講談の口調は、あくまで具体的で柔らかく、優しい。
 寄港後は、「とんだことで日本一有名な船になりました」とうなだれる福竜丸。つながれたのは、焼津漁港の一番端だ。「私を見る目はだんだんと冷たくなっていきました」と風評被害に苦しんだ漁業の町が抱えた複雑さも盛りこみ、一時は「粗大ゴミ」として放置されていた船が、展示館で保存されるまでをまとめた。
 田辺さんは趣味で通っていた講談教室の講師、田辺一鶴いっかくさん(故人)に誘われ、20年以上勤めた人事院を辞めて講談の世界に飛び込んだ変わり種。これまで8年間につくった講談は100本以上に及ぶ。「ただの訓示よりも、面白い講談の教えの方が実生活に生かされる」と、1993年の北海道・奥尻島の津波被害を始め、防災が題材の講談もつくってきた。
 地元ネタの新作をつくろうと、昨年9月、自宅近くの展示館を訪れたことが、今回の新作につながった。かつて何度も展示を見たはずなのに、被災船がほかにもたくさんあることを初めて知り、その驚きを「実は大変な目にあったのは、私だけじゃなかったんでございますよ」と盛り込んだりもした。
 実名が登場することもある講談。実際の事件を題材に台本がつくられるのは、出来事から半世紀以上たってからが多いという。「ビキニ事件はまだ60年」という感覚だ。元乗組員が入院した後どうなったかなど、聴衆の関心に期待し、省いた要素もある。
 「中学生にも分かるようにつくった。自分だったらどうだろうかと考えたり、調べたりするきっかけにしてほしい」と願っている。

ジンベイザメ